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どうにもこうにも新興宗教

2015.06.05 21:02|日記
平和学とかいう学問がありまして、1900年半ば頃に発足したものです。
内容は、「平和について考えようぜ!」って感じ。
平和を考えるにあたって、まずはその対局にある暴力の理解を深めます。
暴力から考察する辺り、歴史を省みるとかそういうのに似てますかね。

で、簡潔に書けばそんな感じの学問なのですが、見れば見るほど無謀っぷりが目立ちます。
例えば、平和主義の究極とはたとえ襲われようと、妻が襲われようと戦争を仕掛けられようと反撃はしない、とか。
イジメがあればまずはなぜそのイジメを行ったか、行った者はもしかしたらもっと他の者にイジメを受けてるのでは、とか。
なんていうか、おそろしいまでに「ぼくのかんがえた へいわなせかい」を思い浮かんでしまいます。

概念であったり、実際の戦争を元に考えたりとか、その辺は他の学問と同じです。
ですけども、解決のために困難どころかまず不可能なものを求める辺りが頭のなかも平和主義って感じがします。

例えば、どこかの企業が極悪なことをしているからその企業のものは何があっても買わない、とか。
段々と気付いているのですが、どうにも「世界平和」には「全員平和学を学ぶ」必要があるみたいです。
まぁ言いたいことはわかるのですけど、どうしても世界の構造を全部まるっと変えなければいけないという。
平和学会もあるようですが、規模はどうであれ流石に世界は相手にできないだろと…。

大学の講義としてあるところはあるのですが、これって要するに「平和学を浸透させる」ことが目的なのでしょうか。
そして平和学を学んだ人が上に立ってそれを行使する、みたいな?

こうして思い返してみると、中々に洗脳感が溢れているんですよね。
直接的に明言はしていませんが、どうしても「種を蒔いておこう」みたいなものを受けます。
そもそもの原因として、学問であるというのに知識だけでなく個人の思想が溢れてるのがあるんでしょうね。
というか、平和学なんて言ってしまえば現代史にそこから平和学会がどのような知識を蓄積したかを教えてるだけなんですよね。
実際問題、現代史を学んで歴史を振り返れればそもそもこの学問いらないという。

なんとなくこの平和学とかいうのを題材に記事書いてますけど、書けば書くほど不思議な学問。
何のための学問なのか、そもそもどのような活動をしているのか。
つーかどの程度の規模なのかすら分からないけど、普段は平和を目指してどのような行動を行っているのかが気になる。
講演とかでもしてるんでしょうか。

どうしても宗教という印象が付いて回るものでした。
変な話題でごめんなさい。

それでは今日はここらでサヨウナラー

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